-目次-
1.学校の先生や、もうめっちゃ色んな人が言ってた
2.オーストラリアのシドニーに決めた理由
3.結局何がそんなにいいの?予定されていない出会い
4.理解のレベル
5.日本を知ることに繋がる
6.まとめ
と、詳しい理由もなしに言っていたことが、印象に残っていて、
その理由がないのも、逆にずっっと気になっていました。
それから後も、「外国行けよ、絶対人生変わるから。」みたいな、根拠の薄っぺらい推しを色んな人がするよなぁと思ってました。で、言ってくる人は全員もちろんどこかの日本でない国に行ってきた人なわけで、そんなん自分のしたことを肯定したいだけやーん、とか思ってました。
でも、こんなに色んな人が、無責任に、「とりあえず外国行った方が良いよ」っていうなら
無責任に、「俺行ってみたけどあれはやめた方がいいぞ」って否定する人に出会ってもおかしくないな、とも思ったんですよね。
それが僕の場合、一人も否定する人に出会わず、経験者がみんなすごい勢いで勧めてくるだけだったんですよ。
行くだけで自分の何かが変わるなら、そんな楽な話はないじゃないですか。
じゃあそれはもう、責任とってもらわなくていいから、行ってみようと!
それで、何にもならなかったとしても、何にもならなかったということを知ることができるし。
あの無責任なセリフ信じない方がいいぞ!とみんなに無責任に教えることができるし。
「みんなに言われるがまま、ホントにただただ行ってみました、それでなんにも良いことなかったっすわ、どうしてくれるんすか、」でも面白いかなと思ったんですよ。
でも、結果的に僕も、「とりあえず外国行った方がいいじゃん!」って言う奴になっちゃったんですけど。
外国、外国といっていますが、僕が滞在したのは、オーストラリアのシドニーというところです。だから、僕がいまからするお話は、外国っていいよって話ではなくて、シドニーって僕にとってすごい学べることが多い素敵な場所だったっすというお話です。
でもそこで得たものの一部は、日本を離れ、違う土地に住む人たちとの関わりから得られた、という風にも言えるので、それはシドニーだけでなく他の場所でも同じように言える部分があるのでは、ということで、外国という表現になってしまうこともあります!
「オーストラリアに住む人々は、英語が話せない人に対してとても親切らしい」という話を聞いて、僕は国を決定しました。演奏とかしたいしギターを持っていこう、とかは思ってましたけど、音楽の事情も何も知らずに、理由はもう本当にそれだけでした。でもオーストラリアといっても超でかいですからね!どこに行くか選択肢は沢山あるはずなのですが、シドニーという場所に決定したことに関しては、理由なんてあったかな、という感じです、オーストラリアと言えばシドニーでしょ!みたいな笑、シドニー以外の地域に失礼ですね。
(↑僕こういうのありきたりでくさいな、とか思ってたんですよ、でも今は真面目に思います。人との出会いは、貴重で大切なものです。)
自分の場合は、約1年間シドニーに滞在して、バスキング(路上パフォーマンス)を毎日していたので、人との出会いは、より多い生活だったのかもしれません。シドニーでのバスキングはオススメです。音楽をしていなくても、ダンス、絵、パントマイム(ずっと固まったまま動かないとか)、色々パフォーマンスにも種類があって、「人前で何かをするとかまじで無理ありえない」という人でない限り、出来ることって色々あると思います。毎日でなくても、一回してみる、とかでもよくて、それで思いがけない出会いにも繋がるかもしれませんし。
バスキングのお話は、また別に詳しく書きますね。
思いがけない出会いと書きましたが、
言い換えるとそれって「予定されていない出会い」だと思うんです!
僕は「予定されていない出会い」ってすごい感動的だなと思っていて、
例えば僕の場合、21歳くらいの時なにも考えずボーっとしてたとしたら、シドニーに行くことは思い付かなかったですし、どこかのタイミングで、やっぱシドニー行ってみようかな、とそれまでの予定(東京で生活してみたいな、とか考えてました。)を変更した瞬間があったんですよ!
(その予定変更することも予定の内なんじゃない?とか考えてたらキリがないので、今回は考えないようにします。)
僕があのときああいう風に思い付かなかったら、シドニーで知り合った人全員、会うこともなかったのか、と思うと不思議な気持ちで。
自分はこういう予定だったけど、自分の意志で、予定をこう変更させたから、この人との出会いが起きたのか、と。
でもそれって逆に、あのとき予定を思いきって変更をさせなかったらあったかもしれない出会いを犠牲にしているとも考えられるんですけど!
だから予定は、なにかの予定の犠牲のうえに、作られてて、この出会いは誰かとの出会いの代わりに起きたもの、と考えると、どんな出会いも愛おしく思えてきて、大切にできるようになったんですよね。
だから思いきって予定を変更してみる、っていう行動は、
これまでの人生の出会いについて、改めて考えさせられて、
これまでの全ての出会いに感謝できるきっかけになった、という感じでしょうか。
思いきって行動した結果、必ず気の合う人と出会えるわけではないけれど、出会いを意識して、大切にできるようになったと感じてます。
だって僕、シドニーの路上で知り合った人と結婚したんですから!そこ繋がる!?!?って人同士なわけですよ。そんなん、出会いってなんだろう、なんか素敵だな、感動的だな、大切だな、ってなるでしょ!
(↓これは語学学校のイケイケの友達お別れパーティですね。)
(↓普段の僕はもっとこんな感じです。)
どういうことかというと、例えば、
○人の優しさについて、です。
全然僕は理解してなかったんですよ、人の優しさを。
日本で住んでいる時には出会わなかったハプニングに、日本を離れると沢山出会うんですよ。困るじゃないですか、もう言葉も地理も文化も分からなくて、、
それでどうしようもない!というとき、人が必ず!助けてくれるんですよ。
困ることってホントにめっちゃくっちゃ起きるんですよ、つまりその分、人に助けてもらうことがめっちゃくっちゃあるんですよ。
慣れない最初の方は特に、ずっと助けられながらの生活になるんですけど、
そんな生活の中で、
助けてもらうことってこんな幸せなものだったのか、と僕は感じられたんですよね。人の優しさにこんなに触れられて、ホント幸せだなと感じられたわけです。
(でも人が困っているタイミングをみて、騙してお金をとってやろう、とかいう悪い人もいるので、一概に人はみんな信用していいですよ、とはもちろん言えないのですが、、それは日本でもどこでも同じ話ですね。)
困っているとき人は助けてくれる、そんなことは知っているつもりでしたが、あんなにも身にしみて感じられる機会ってそれまで、僕はあまりなかったかもしれないなと思ったんです。
そこで改めて、それまで日本で何年も生きてきて、数えきれない人たちに助けられて生きてきたことを、思い出して、感謝しました。
当たり前であるはずの事実を、改めて強く実感できて、理解しなおす、って感じですかね。
理解していたはずのことが、僕はこれくらいの理解しかしてなかったのか、と気付ける、というか、理解のレベルが上がる、という感じです。
他にも沢山あって、
○オーストラリアのような移民国家は、多数の文化が混在し、それらの存在を認め合っているから、自分は自分でいいのか、という当たり前のことにも気付かせてもらえますね。
何回も言いますけど、
自分は自分でいい、そんなん分かってますって、って思うじゃないですか、でも実際に多くの文化が混在する社会をこの目で見ると、その説得力が違って、自分、分かってなかったかも、ってなるんですよ。
さらに!
○どこで生まれ、どこで育ったかは関係なく、みんな同じ人だということも知りました。
実際に、同年代の日本語を喋らない人や見た目がちょっと自分と違う人と話して、
同じような音楽を聞いていたり、
同じような悩みをもっていたり、
しょうもない下ネタで笑い合ったりしている自分たちに気付いた時、
最初驚いたんですよぼく!!えっ、驚くのおかしくないですか?
同じ人間って、そんなの当たり前じゃないですか、みんなそんなことわかってますよね、僕も知ってるつもりだったのに驚きました、驚いた自分に驚きですよね。
自分は言語や見た目にこんな縛られていたのか、と。
わかっていたつもりが、やっぱり自分はわかってなかったことに気付きました。
こんな同じ人が世界中に沢山いるんだと、みんなとコミュニケーションができるのだと!
それが知れたことが、すごい嬉しかったんです。
知ってるつもりが、全然知らなかったんですよ僕は。
シドニー滞在中って、したことのない経験を進んでしようという気持ちになれたんですよね!せっかくこんな所に来てるんだし!っていうね。
違う環境のせいで、色々なことに挑戦しようという姿勢になって、その結果、沢山経験して学べたと思うんですけど、
これは逆に場所は関係なく、自分の姿勢、気持ち次第でいくらでも、新しい経験は出来るし、学べるのだと気付くことにもなったっすね。
日本を離れることで、日本という国で生きる楽しさを知ることにも繋がるというか、
日本だからこそ出来ること、って日本にいたら気付けないですから。
そこで、例えばシドニー大好き!!ここに住みたい!!と思っても、実際にそこに住むのは、簡単なことではなくて、
日本に住みたくても、住めない人も多くいるわけで、だから日本で住める僕は、そのことのありがたさを感じられるようになったし、それまで日本に住めるなんて自分幸せだなって思える機会ってなかなかなかったですから。
言語もそうですよね、日本語が通じないところで生活すると、日本語がとてもありがたいものに感じるし、自分の思うことを表現できる日本語ってすごいな、って初めて思うんですよ!
今でこそ、ネットで、遠く離れた人たちの生活も、すごい身近に感じることはできますが、それでも!直接そこに住む人と話をして、同じ場で会話することの価値は大きいままだと思います。
そうなんですよ、僕もそう思ってたんです、、でも違ったんですって。
それに今でさえ、色々理解のレベルが上がった気がする、とか言ってますけど、まだ全然低いレベルの理解なのかもしれないんです。
「自分は何も知らない」ってことも知ってるわー!って思いましたか?
本当ですか?「自分は何も知らない」って知らないんじゃないですか??
だって「自分が何も知らない」って知っているなら、
それあなた「何も知らない」じゃないじゃないですか?
最後に訳分からないこと書きました。
1.学校の先生や、もうめっちゃ色んな人が言ってた
2.オーストラリアのシドニーに決めた理由
3.結局何がそんなにいいの?予定されていない出会い
4.理解のレベル
5.日本を知ることに繋がる
6.まとめ
1.学校の先生や、もうめっちゃ色んな人が言ってた
自分の中学校の時の先生が授業中に、「皆さんは必ず外国に行ってください、
いくつになってでもいいですが出来るだけ早く、
外国を見てきてください。」
いくつになってでもいいですが出来るだけ早く、
外国を見てきてください。」
と、詳しい理由もなしに言っていたことが、印象に残っていて、
その理由がないのも、逆にずっっと気になっていました。
それから後も、「外国行けよ、絶対人生変わるから。」みたいな、根拠の薄っぺらい推しを色んな人がするよなぁと思ってました。で、言ってくる人は全員もちろんどこかの日本でない国に行ってきた人なわけで、そんなん自分のしたことを肯定したいだけやーん、とか思ってました。
でも、こんなに色んな人が、無責任に、「とりあえず外国行った方が良いよ」っていうなら
無責任に、「俺行ってみたけどあれはやめた方がいいぞ」って否定する人に出会ってもおかしくないな、とも思ったんですよね。
それが僕の場合、一人も否定する人に出会わず、経験者がみんなすごい勢いで勧めてくるだけだったんですよ。
行くだけで自分の何かが変わるなら、そんな楽な話はないじゃないですか。
じゃあそれはもう、責任とってもらわなくていいから、行ってみようと!
それで、何にもならなかったとしても、何にもならなかったということを知ることができるし。
あの無責任なセリフ信じない方がいいぞ!とみんなに無責任に教えることができるし。
「みんなに言われるがまま、ホントにただただ行ってみました、それでなんにも良いことなかったっすわ、どうしてくれるんすか、」でも面白いかなと思ったんですよ。
でも、結果的に僕も、「とりあえず外国行った方がいいじゃん!」って言う奴になっちゃったんですけど。
2.オーストラリアのシドニーに決めた理由
外国、外国といっていますが、僕が滞在したのは、オーストラリアのシドニーというところです。だから、僕がいまからするお話は、外国っていいよって話ではなくて、シドニーって僕にとってすごい学べることが多い素敵な場所だったっすというお話です。
でもそこで得たものの一部は、日本を離れ、違う土地に住む人たちとの関わりから得られた、という風にも言えるので、それはシドニーだけでなく他の場所でも同じように言える部分があるのでは、ということで、外国という表現になってしまうこともあります!
「オーストラリアに住む人々は、英語が話せない人に対してとても親切らしい」という話を聞いて、僕は国を決定しました。演奏とかしたいしギターを持っていこう、とかは思ってましたけど、音楽の事情も何も知らずに、理由はもう本当にそれだけでした。でもオーストラリアといっても超でかいですからね!どこに行くか選択肢は沢山あるはずなのですが、シドニーという場所に決定したことに関しては、理由なんてあったかな、という感じです、オーストラリアと言えばシドニーでしょ!みたいな笑、シドニー以外の地域に失礼ですね。
3.結局何がそんなにいいの?
「人との出会いっていいです。」
(↑僕こういうのありきたりでくさいな、とか思ってたんですよ、でも今は真面目に思います。人との出会いは、貴重で大切なものです。)
自分の場合は、約1年間シドニーに滞在して、バスキング(路上パフォーマンス)を毎日していたので、人との出会いは、より多い生活だったのかもしれません。シドニーでのバスキングはオススメです。音楽をしていなくても、ダンス、絵、パントマイム(ずっと固まったまま動かないとか)、色々パフォーマンスにも種類があって、「人前で何かをするとかまじで無理ありえない」という人でない限り、出来ることって色々あると思います。毎日でなくても、一回してみる、とかでもよくて、それで思いがけない出会いにも繋がるかもしれませんし。
バスキングのお話は、また別に詳しく書きますね。
思いがけない出会いと書きましたが、
言い換えるとそれって「予定されていない出会い」だと思うんです!
僕は「予定されていない出会い」ってすごい感動的だなと思っていて、
例えば僕の場合、21歳くらいの時なにも考えずボーっとしてたとしたら、シドニーに行くことは思い付かなかったですし、どこかのタイミングで、やっぱシドニー行ってみようかな、とそれまでの予定(東京で生活してみたいな、とか考えてました。)を変更した瞬間があったんですよ!
(その予定変更することも予定の内なんじゃない?とか考えてたらキリがないので、今回は考えないようにします。)
僕があのときああいう風に思い付かなかったら、シドニーで知り合った人全員、会うこともなかったのか、と思うと不思議な気持ちで。
自分はこういう予定だったけど、自分の意志で、予定をこう変更させたから、この人との出会いが起きたのか、と。
でもそれって逆に、あのとき予定を思いきって変更をさせなかったらあったかもしれない出会いを犠牲にしているとも考えられるんですけど!
だから予定は、なにかの予定の犠牲のうえに、作られてて、この出会いは誰かとの出会いの代わりに起きたもの、と考えると、どんな出会いも愛おしく思えてきて、大切にできるようになったんですよね。
だから思いきって予定を変更してみる、っていう行動は、
これまでの人生の出会いについて、改めて考えさせられて、
これまでの全ての出会いに感謝できるきっかけになった、という感じでしょうか。
思いきって行動した結果、必ず気の合う人と出会えるわけではないけれど、出会いを意識して、大切にできるようになったと感じてます。
だって僕、シドニーの路上で知り合った人と結婚したんですから!そこ繋がる!?!?って人同士なわけですよ。そんなん、出会いってなんだろう、なんか素敵だな、感動的だな、大切だな、ってなるでしょ!
(↓これは語学学校のイケイケの友達お別れパーティですね。)
(↓普段の僕はもっとこんな感じです。)
4.理解のレベル
「たぶん理解のレベルが上がったっすね。
それでいて、自分がなんにも分かっちゃいない、ということを知ったっすね。」
○人の優しさについて、です。
困っている時に、人が助けてくれるんですよ。
全然僕は理解してなかったんですよ、人の優しさを。
日本で住んでいる時には出会わなかったハプニングに、日本を離れると沢山出会うんですよ。困るじゃないですか、もう言葉も地理も文化も分からなくて、、
それでどうしようもない!というとき、人が必ず!助けてくれるんですよ。
困ることってホントにめっちゃくっちゃ起きるんですよ、つまりその分、人に助けてもらうことがめっちゃくっちゃあるんですよ。
慣れない最初の方は特に、ずっと助けられながらの生活になるんですけど、
そんな生活の中で、
助けてもらうことってこんな幸せなものだったのか、と僕は感じられたんですよね。人の優しさにこんなに触れられて、ホント幸せだなと感じられたわけです。
(でも人が困っているタイミングをみて、騙してお金をとってやろう、とかいう悪い人もいるので、一概に人はみんな信用していいですよ、とはもちろん言えないのですが、、それは日本でもどこでも同じ話ですね。)
困っているとき人は助けてくれる、そんなことは知っているつもりでしたが、あんなにも身にしみて感じられる機会ってそれまで、僕はあまりなかったかもしれないなと思ったんです。
そこで改めて、それまで日本で何年も生きてきて、数えきれない人たちに助けられて生きてきたことを、思い出して、感謝しました。
当たり前であるはずの事実を、改めて強く実感できて、理解しなおす、って感じですかね。
理解していたはずのことが、僕はこれくらいの理解しかしてなかったのか、と気付ける、というか、理解のレベルが上がる、という感じです。
他にも沢山あって、
○オーストラリアのような移民国家は、多数の文化が混在し、それらの存在を認め合っているから、自分は自分でいいのか、という当たり前のことにも気付かせてもらえますね。
何回も言いますけど、
自分は自分でいい、そんなん分かってますって、って思うじゃないですか、でも実際に多くの文化が混在する社会をこの目で見ると、その説得力が違って、自分、分かってなかったかも、ってなるんですよ。
さらに!
○どこで生まれ、どこで育ったかは関係なく、みんな同じ人だということも知りました。
実際に、同年代の日本語を喋らない人や見た目がちょっと自分と違う人と話して、
同じような音楽を聞いていたり、
同じような悩みをもっていたり、
しょうもない下ネタで笑い合ったりしている自分たちに気付いた時、
最初驚いたんですよぼく!!えっ、驚くのおかしくないですか?
同じ人間って、そんなの当たり前じゃないですか、みんなそんなことわかってますよね、僕も知ってるつもりだったのに驚きました、驚いた自分に驚きですよね。
自分は言語や見た目にこんな縛られていたのか、と。
わかっていたつもりが、やっぱり自分はわかってなかったことに気付きました。
こんな同じ人が世界中に沢山いるんだと、みんなとコミュニケーションができるのだと!
それが知れたことが、すごい嬉しかったんです。
知ってるつもりが、全然知らなかったんですよ僕は。
5.日本を知ることに繋がる
シドニー滞在中って、したことのない経験を進んでしようという気持ちになれたんですよね!せっかくこんな所に来てるんだし!っていうね。
違う環境のせいで、色々なことに挑戦しようという姿勢になって、その結果、沢山経験して学べたと思うんですけど、
これは逆に場所は関係なく、自分の姿勢、気持ち次第でいくらでも、新しい経験は出来るし、学べるのだと気付くことにもなったっすね。
日本を離れることで、日本という国で生きる楽しさを知ることにも繋がるというか、
日本だからこそ出来ること、って日本にいたら気付けないですから。
そこで、例えばシドニー大好き!!ここに住みたい!!と思っても、実際にそこに住むのは、簡単なことではなくて、
日本に住みたくても、住めない人も多くいるわけで、だから日本で住める僕は、そのことのありがたさを感じられるようになったし、それまで日本に住めるなんて自分幸せだなって思える機会ってなかなかなかったですから。
言語もそうですよね、日本語が通じないところで生活すると、日本語がとてもありがたいものに感じるし、自分の思うことを表現できる日本語ってすごいな、って初めて思うんですよ!
今でこそ、ネットで、遠く離れた人たちの生活も、すごい身近に感じることはできますが、それでも!直接そこに住む人と話をして、同じ場で会話することの価値は大きいままだと思います。
6.まとめ
「そんなん全部わかってるって、日本おったって分かることやーん!」って思います?そうなんですよ、僕もそう思ってたんです、、でも違ったんですって。
それに今でさえ、色々理解のレベルが上がった気がする、とか言ってますけど、まだ全然低いレベルの理解なのかもしれないんです。
ただ僕は、
シドニーに行ったことが、
シドニーに行ったことが、
「自分は何も知らないことばかりで、
理解しているつもりでも
実際は全然理解していないものが
この世には沢山ある」
ということを知るきっかけになった
と思っています。
実際は全然理解していないものが
この世には沢山ある」
ということを知るきっかけになった
と思っています。
「自分は何も知らない」ってことも知ってるわー!って思いましたか?
本当ですか?「自分は何も知らない」って知らないんじゃないですか??
だって「自分が何も知らない」って知っているなら、
それあなた「何も知らない」じゃないじゃないですか?
最後に訳分からないこと書きました。
とりあえず!!!
ホントに行って良かった、
それだけっす。
ホントに行って良かった、
それだけっす。
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